| 日本女子短距離、世界へ |
川本 和久
|
| 2007年8月の世界陸上競技選手権大阪大会で、丹野麻美が、日本人の女性短距離選手としては初めての準決勝進出を果たしました。私が日本短距離の強化を担当するようになったのは、1997年世界選手権アテネ大会からです。雉次波(現・二瓶)秀子ががリレーメンバーに抜擢されたのがきっかけでした。アテネの世界選手権からこれまで、6回の世界選手権と2度のオリンピックがありました。 97年以来、日本女子短距離は世界選手権にはリレーで選手を送り続けていましたが、オリンピックには代表を送ることが出来ませんでした。 世界選手権も、単独種目で出場したのは99年の100メートル新井初佳(ピップフジモト)だけでした。日本女子の短距離選手にとっては、世界ははるか彼方にあると言っても大げさな話ではありませんでした。 福島大学のトラックから単独種目で世界に挑戦したのは、2001年エドモントン大会の池田久美子の走り幅跳びが最初です。初出場ながら予選を突破し、決勝へ進みました。その後、03年のパリ大会に400メートルハードルの吉田真希子と池田が出場しましたが、世界の壁に簡単に跳ね返されてしまいました。05年のヘルシンキ大会には、池田と400メートルの丹野が挑戦しました。二人とも予選を突破する力は持っていたのですが、池田はあと数センチで、丹野は力を発揮することなく、敗れ去りました。 そして、福島大トラッククラブから8人の選手を送り込んだ07年の世界選手権大会で、丹野が準決勝進出を果たしました。日本女子短距離が世界の扉を開けた瞬間でした。私がナショナルチームを担当して、10年の歳月がたっていました。 次の目標は、ファイナリスト(決勝進出者)です。これは、世界で8人しか与えられない称号です。池田は、去年のワールドツアーでファイナリストの仲間入りを果たしました。丹野の場合はまだまだ難しいでのですが、彼女の卒業論文のテーマは「丹野麻美が50秒台で走るためには」でした。世界レベルのレースを分析して、自分のレースとの比較検討をしました。50秒台が出せれば、ファイナリストの仲間入りです。世界のトップの競技者たちと大きく違うところは、バックストレートの走りでした。両者には明らかなタイム差があります。しかし、ホームストレートのタイム低下などは、ほとんど変わりありませんでした。レース展開で言うと、バックストレートで一気に離されて、勝負あり!と言う感じです。 丹野が世界と伍していくためには、200メートルを22秒台(日本記録は23秒33)というスピードが必要となります。今シーズンは、丹野の走りに注目してください。 |
|