| 武道「段位制」と人間の成長 |
中村 民雄
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| 現在、野坂昭如原作の『火垂るの墓』が日向寺太郎監督の下で映画化が進み、撮影に入っている。 その映画の中で、主人公の清太が剣道をするシーンが2か所ある。清太が十歳と十四歳の時、時代で言うと、昭和16年(1941年)と同20年という想定になっている。 この映画つくりに剣道の監修者として参加してみて、苦労したのが、剣道の有段者を視覚的にどのように表現するかということです。14歳になった清太は、経験年数からいっても初段または二段くらいになっているし、それをどのように現すかといえば、防具で表現するしかない。つまり、10歳の清太には竹胴を用い、14歳になった清太は黒胴を用いることで区別をはかった。 これは、戦前においても、柔道で有段者になれば「黒帯」をしめ、剣道では「黒胴」を着けることが許されたという慣例からきたものです。先日行われた撮影はうまくいったので、あとは映画の封切りを待つばかりです。 ところで、柔道・剣道の有段者、「段」という制度はいつ頃からはじまったものなのか、調べてみました。 武道で「段」と言えば、講道館柔道を思い浮かべるように、嘉納治五郎が創始した講道館柔道で「段」を最初に允許(いんきょ)したのは、明治16年(1883年)8月、富田常次郎と西郷四郎に初段を許した時です。 その後、この「段」は、大正6年(1917)3月に剣道も採用、同12年4月からは弓道も採用し、昭和に入って銃剣道も採用したことから、武道の技の習得段階を示す基準となっていきました。 嘉納が柔道に段位制を採り入れる以前はどうであったかというと、武道の修行段階は目録・免許・皆伝という三段階が普通でした。しかし、囲碁と将棋は九品(くほん)浄土の思想を背景として、九段を最高位とする段位制をとっていました。九段のことを「名人」とも言い、八段を「半名人」、七段を「上手」と言い、「何段」という言い方と併用されてきました。 ひょっとしたら、嘉納はこの囲碁・将棋の「段」がヒントとなって、段位制を考えたのかもしれません。ただ、嘉納は、囲碁・将棋のように九段を最高位とする考えは採らず、十段、十一段とどんどん上昇していくことを考えていました。人間の成長をどこまでも信じた教育者・嘉納治五郎の思想が垣間見えるようです。 ちなみに、先日の世界柔道選手権大会で七回目の優勝をした谷亮子選手は、現在四段です。 |
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