トップが見せた陰の努力
川本 和久
 世界陸上の第1次日本代表が発表されました。福島大のトラックからは、池田久美子(スズキ、福島大卒)をはじめ6名が選出されました。福島大学の日本代表第1号は、1997年世界選手権アテネ大会の雉子波秀子(現:二瓶・100メートル日本記録保持者)です。彼女と行った最初の世界選手権では、コーチとして学ぶことがたくさんありました。
 男子400mの決勝が終わった翌日のことです。練習のためにサブグラウンドに行くと,何とマイケル・ジョンソン(アメリカ)が練習しているではありませんか。ジョンソンは,1995年イエテボリ世界選手権,1996年アトランタ五輪に続いて,この大会でも400mで優勝を飾りました。決勝を走ったのは前日の夜ですから、どんな練習をするのか興味が湧いて彼の練習を追いました。何よりも,レースの翌日にグラウンドに来ることが驚きでした。ウォーミングアップをすませてジョンソンは上半身裸になり,なにやらやる気十分です。見ている方は軽い練習という意識があるために技術を盗む(勉強する)というより,レース翌日は何をやるんだろうというくらいの軽い気持ちが働いていました。
 ジョンソンは,曲走路の真ん中から走り出し、逆の曲走路の真ん中までの200mを走りました。曲走路,直走路,曲走路と400mの競技者特有のコース取りでした。走るスピードも速く,レース翌日の練習にしては気合いが入りすぎていました。200mを走ったら,その場で休んですぐ走り出す。これを繰り返します。見た目にもつらそうです。結局ジョンソンは,200mを10本休むことなく走りきりました。走り終わって,両手を膝について,下を向いたまましばらく動くことができませんでした。その後立ち上がって10mほど歩いたのですが,今度は座り込んでしまいました。本当に辛い練習だったようです。
 昨夜のメインスタジアムのレースもさることながら,サブグランドでそれ以上の素晴らしいものを見ました。陰の努力がトップ選手達を支えているんだなと、心の底から実感することができました。練習だけが速くなる道です。その日の練習は,「昨日の勝利は過去のもの,明日に向かってオレは走るんだ!」という強いメッセージを発しているようでもありました。
 その2年後の1999年、ジョンソンは,セビリア世界選手権の400mで43秒18という驚異的な世界記録をマークします。