「寒稽古と鏡開き」
中村 民雄
 江戸時代から続く正月行事と言えば、寒稽古と鏡開きがある。

 寒稽古は、寒の間三十日間稽古するもので、俳諧や音曲など芸能諸流でも行われている。しかし、今では、寒稽古と言えば、武道の耐寒訓練のことを指しており、期間も、十日から二十日と短縮して行われている。
 また、鏡開きは、元々「具足開き」と称していた武家の正月行事で、床の間に先祖代々の甲冑を飾り、その前に置いた具足櫃の上に餅を供えて軍神(いくさがみ)を祭り、元日に飾った餅を一月二十日に割って食べる風習があった。この固くなった餅は、槌で叩いて割り、刃物は決して使わなかった。これを鏡割りとも言う。
 なお、一月二十日というのは、刀剣の「刃柄(はつか)」にかけたもので、縁起をかついでこの日と決まったようである。
 ところが、慶安四年(一六五一)四月二十日に三代将軍徳川家光が死去したことにより、二十日では縁起が悪くなり、武家の仕事始め(倉開き)であった十一日に変更され、それ以後は、一月十一日を恒例とするようになった。
 明治になって、こうした年中行事は一時廃れてしまったが、明治十五年(一八八二)講道館柔道を創始した嘉納治五郎は、道場を立ち上げて三年目の明治十七年正月から鏡開きを行うようになり、講道館の年中行事とした。
 この講道館の鏡開きは、明治末にはすでに東京の風物詩となっており、若月柴蘭著『東京年中行事』(春陽堂、一九一一年)に、「小石川富坂町の柔道教場講道館では、例年八日を以て鏡開を行ない、嘉納館長の挨拶についで色々の型、乱取りなどあり、昇段者の披露終りて、来会者一同へお汁粉と四斗樽一本半の焼餅と、一本の揚餅との御馳走が出る。」と書かれている。
 この日はまた、昇段者が披露される日でもあり、一年でもっとも晴れやかな日でもあった。ちなみに昨年の講道館鏡開きでは、史上初となる、安部一郎、醍醐敏郎、大沢慶己の三氏が同時に「十段」を授与され、アメリカ在住の福田敬子さんが女性初の「九段」を授与された。

 子ども達にとって、鏡開きの楽しみは何といっても、割った鏡餅を焼いてお汁粉に入れて食べることで、寒稽古の辛さを一時忘れさせてくれることであろう。
 ただし、最近ではノロウィルスの蔓延で、寒稽古のお粥や、鏡開きのお汁粉も自粛するところが増えており、長年培ってきた年中行事も形を変えざるを得ない状況になっている。