スポーツと教育
小川 宏
 昨夏、「ハンカチ王子」と呼ばれ甲子園を沸かせた斎藤祐樹投手や、同じく卓球の愛ちゃんこと福原愛選手、女子プロゴルフの宮里藍選手など、最近、若手選手達の活躍がマスコミをにぎわせています。彼らのスポーツでの活躍もさることながら、スポーツに対するひたむきな取り組み姿勢や、インタビューでのしっかりとした話しぶりから、彼らが人格的にも素晴らしいことが伝わってきます。おそらく小さい子どもを持つ多くの親は、「うちの子にも何かスポーツをさせて、あんな風にいい子に育てたい」と少なからず思っていることでしょう。
 体育教師を目指して大学に入学した学生に教員志望の理由を尋ねることがあります。すると彼らからは、「自分が追求してきたスポーツを運動部活動で教えたいから」といった理由が返ってきます。自分がスポーツを通じて多くの事を学んで成長出来たので、今度はそれを指導者として子ども達に伝えたい、ということなのでしょう。(もちろん彼らには、体育教員の仕事は第一に体育授業であることを伝えています)。
 さて、ここで1つ確認しておかなければならないことがあります。それは、ただスポーツをさせておくだけで、いい子に育つわけではないということです。もちろん練習をすれば技能は向上しますが、そのことと人間的な成長とは別の話です。教え方によっては、自分が勝つためにどんな手段を使ってでも相手やライバルを蹴落としたり、見つからないようにずる賢い行動を取ったり、あるいは自分より下手な人間を見下したりと、いくらでも非教育的な人間を作り上げることが可能です。
 幸い、日本の子どもたちに対するスポーツ指導の多くは学校の部活動で行われており、そこでは教員が教育としてスポーツ指導を行っているはずです。スポーツ少年団などでも、ほとんどの指導者が教育的立場に立って指導しています。しかし、スポーツで「勝利」という美酒を一度味わってしまうと、知らず知らずのうちにその魔力に心を奪われてしまいがちです。その結果、体罰やしごき、金銭による強引な選手勧誘など様々な問題を生じさせています。また、「あの選手は使える」「使えない」などと、選手を勝負の道具か駒としか考えていないような指導者の発言が出てきたりするのではないでしょうか。
 スポーツは一つの文化であり、教育的には中立です。そのスポーツを文化として発展させるとともに、子どもたちに対して「スポーツによる教育」をいかに自覚的に行っていけるかが、今後ますます重要になっていくと思います。