ジベタリアン 中村 民雄
夏になると、駅前に出没する「ジベタリアン」。通りのど真ん中にどっかと座り、往来の邪魔になろうが我関せずで、自分の世界にどっぷり浸かっている。これを別名「尻ペタ族」とも言い、騒がれ初めて、かれこれ十年にもなろうとしている。
 こうした世の中の流行を敏感に採り上げている『現代用語の基礎知識』によれば、一九九七年版に「コギャルの生態」として、「路上、車内に座りこむ若者。九〇年ごろ東京、渋谷に現れたのが走りで、その後各地に広がり、今では団塊ジュニアの行動様式の一つに定着。路上に座り込んでも、特別何をするわけでもない。時折、仲間と会話を交わすほかは思い思い時間をつぶしているだけ。」と説明されている。
 また、「ジベタリアン」の流行と時を同じくして現れた「ルーズソックス」にスカートを短くたくし上げたスタイルは、またたく間に女子高生の定番として広がっていった。「ルーズソックス」はその後、紺色のハイソックスにかわり、今ではあまりお目にかかることもなくなってしまった。
 そうした「ジベタリアン」や「ルーズソックス」を見ると、団塊の世代であるわたしは「何ともみっともない。最近の若者は。」と、ついつい愚痴をこぼしてしまう。
 しかし、考えてみれば、そんな若者の親達は自分と同世代であり、「親の顔を見てみたい。」と批判している自分自身が見られているようで恥ずかしくもなる。 
 「少子化」と「体力の二極化」が叫ばれて久しい今日、若者が十分も立っていられないのは、腹筋や背筋が未発達だからだ。たとえ立っていられても、「楽だから」といってすぐに座ってしまう。原因は解っているのだから、ここはやはり「鉄は熱いうちに打て」ということを言いたい。若いうちに背骨や中心軸を作らないで人間いつ鍛えるのか。
 また、地べたに坐れば視野は狭くなり、周りの人と目線を合わせることもなく、自分の世界に没頭できる。確かに、われわれは地べたに坐ることはないが、「隣は何をする人ぞ。」といった、周りへの無関心社会を築きあげてきたのは、実は、団塊の世代であったことを忘れてはならない。
 今、日本人の行動様式や価値観、人間関係や文化の有り様が確かに大きく変わろうとしている。「ジベタリアン」の次にどんな文化が生まれてくるのか、これからも注意深く見つめていきたい。