| ガッツポーズ | 中村 民雄 |
| 四年に一度のサッカーワールドカップが開幕し、連日テレビに釘付けとなっているサッカーファンも多いことでしょう。 そのサッカーの試合では、点が入る度に派手なガッツポーズやパフォーマンスが繰り広げられ、一種の風物詩のようになっている。そうしたパフォーマンスが柔道や相撲など、日本の武道でも珍しくなくなってきていることに、違和感を感じる読者も少なくないのではなかろうか。 ところで、この「ガッツポーズ」ということばは、広く一般に利用されている『広辞苑』によれば、一九九一年に出版された第四版から採り上げられており、「和製語で、握ったこぶしを突き出す動作。主にスポーツなどで勝利やうまくいった際に示す。」と説明されている。 また、この「ガッツポーズ」なる和製語のルーツには二つの説があり、プロボクサーのガッツ石松がロドルフォ・ゴンザレス戦に勝利したとき、カメラに向かって両手を突き上げて喜びを表したポーズを、翌日のスポーツ新聞が「ガッツポーズ」と命名したことから生まれたという説と、ボーリングでストライクが出たときにとるポーズからきたことばであるという説とがある。 いずれにしても、一九七〇年代から多くのスポーツ種目に行き渡り、日常化していったことばである。 このように、スポーツ界では当たり前の「ガッツポーズ」を、武道の世界ではまだまだタブー視しており、特に剣道は今でも禁止している。その理由は、「勝って兜の緒を締めよ」という教えがあるように、常に自己を戒め、相手への思いやりの心を大切にしているからで、観客を巻き込んでの「オレが、オレが」という自己主張に違和感を感じる心性が働いているからである。「道」の精神と言われるものも、そのことを言い表しているからである。 しかし、武道をとりまく環境は日に日に変化しており、柔道や相撲が「ガッツポーズ」を黙認してしまったように、やがて、剣道も時流に飲み込まれてしまうのか。 それとも、剣道が武道として、常に、内なる自己との対峙をとおして自己実現をはかる「道」としての自覚を持ち続けていくのか。また、単に「打った、打たれた」という結果だけを競い合う「当てっこ剣道」を否定し続けていくのか。今や、その岐路にさしかかっていると言っても過言ではなかろう。 |
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