「高度化と大衆化」
小川 宏
 先日開催されたトリノオリンピック。残念ながら日本は荒川選手の金メダル1個に終わりましたが、スポーツの祭典であり、最高レベルの競技大会でもあるオリンピックは、観戦する私たちに大きな感動を与えてくれます。
オリンピックはもちろん誰でも出場出来るものではなく、運動能力や練習環境など多くの条件が整ったほんの一部の人間だけが、あの最高の舞台に立つことが出来るのです。
 そして競技レベルも日々高度化しています。先ほどの冬季オリンピックで言えば、モーグル競技のジャンプに縦回転が認められ、選手はより高難度の技を要求されるようになりました。あの急なコブ斜面を滑り降りる事自体難しいと思う一般スキーヤーからすると、ちょっと考えられない技術レベルですね。
このようにスポーツの高度化は日々進んでおり、現在多くの競技では、とても早い時期から多くの費用と労力、時間を注ぎ込まないとトップレベルに到達出来なくなってきています。
するとその一方で、そこまでスポーツにエネルギーを注ごうとは思わないが、手軽に楽しみとして行いたい、という人も増えています。この流れは大学のサークル活動にも表れており、いわゆる「体育会系」の運動部活動に所属する学生は減少していますが、スポーツ同好会に参加する学生は逆に増えています。
そして近年、ソフトバレーボールやグラウンドゴルフなど、もっと手軽に運動を楽しむための「レクリエーションスポーツ」が数多く開発され、愛好者も増加しています。スポーツの高度化が進むにつれて、スポーツの大衆化も広がった結果と言えるでしょう。
しかし最初はちょっと楽しむために始めたはずのレクリエーションスポーツでも、次第に夢中になり、大会での上位入賞を目指して練習時間を増やし、いつの間にか高度化に向かってしまうことがあります。こうしてレクリエーションスポーツの競技スポーツ化が進んでしまうと、手軽に楽しむという本来の意義が失われてしまいます。レクリエーションスポーツ自体、手軽に楽しめる分、レベルが上がりすぎると行き詰まってしまう可能性が高くなります。
高度化する競技スポーツも大衆化としてのレクリエーションスポーツも、それぞれ独自の意義を持っています。オリンピックを見て楽しむ、競技スポーツを追求して楽しむ、レクリエーションスポーツを手軽に楽しむなど、各人の指向性に応じて、本来の目的を忘れずに、スポーツを多様に楽しんでいけたらいいですね。