チャンバラ 中村 民雄
 チャンバラという言葉は、刀で斬り合うシーンを表現した「チャンチャンバラバラ」の略語で、大正から昭和初期にかけて一般化しました。 特に、大正六年(一九一七)に沢田正二郎が旗揚げした新国劇(一九八七年に解散)は、歌舞伎にはない、白羽で斬り合う迫真的な演技が人々に受けて、人気を博しました。それまで、スローテンポで、型に縛られた歌舞伎の立回りを見慣れていた人々は、リアリティやスピード感あふれる新国劇の立回りに興奮を覚えたのです。これが後に、剣劇、チャンバラ劇と称せられたもので、昭和になると女剣劇をも生み出しました。

 今回封切りとなった『蝉しぐれ』に、牧文四郎の父・助左衛門役で出ている緒形拳は、その新国劇で立回りをやっていた役者さんでしたが、この映画ではそうしたシーンは見られませんでした。

 他方、始まったばかりの映画の世界でも、尾上松之助というチャンバラスターが誕生し、大正末期から昭和初期にかけて、これまた黄金時代を迎えました。世に「七剣聖」と称せられた阪東妻三郎、大河内傳次郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、嵐寛寿郎、長谷川一夫、月形龍之助らが活躍したのも、ちょうどこのころです。
 しかし、チャンバラ映画は、戦後苦難の時代を迎えます。歌舞伎の場合は、GHQにフォービオン・バワーズ少佐という理解者がいたため、昭和二十一年には芸術としていち早く復活し、新国劇も同様に復活しました(藤井康生『東西チャンバラ盛衰記』平凡社、一九九九年)。ところが、同じ大衆芸能でありながら、チャンバラ映画は、剣道と同じく昭和二十六年の講和条約の締結まで、禁止されていました。
 私たち、団塊の世代に馴染みの深いチャンバラ映画と言えば、昭和二十六年以降の三船敏郎や中村錦之助が活躍した第二次黄金時代のものです。
 中でも圧巻だったのは、昭和三十七年に三船敏郎が演じた「椿三十郎」で、それまでのチャンバラ映画の常識を大きく変えるものでした。特に、ラストシーンで血がブワーと噴き出し、凄絶な斬り合いをするシーンは、刀がどのように抜かれ、どこを斬ったのかもわからない、場内が一瞬シーンと静まりかえったことをよく覚えています。心臓が止まるかと思ったほど衝撃を受けました。
 あれから四十年余、東宝の殺陣師(たてし)が久世龍から久世浩に代わったとはいえ、血がブワーと吹き出す演出は今回の『蝉しぐれ』でも見ることができました。

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