鬼ごっこと審判 小川  宏

 皆さん誰でも子供の頃、鬼ゴッコをやったことがあると思います。鬼ゴッコに審判はいません。タッチされたら助けてもらうまでその場に止まってないといけない、タッチされたら鬼になる、など色々なルールがありますが、子供たちは審判がいないにもかかわらず、きちんとルールを守って遊んでいます。誰も見ていないのだからごまかそうと思えば簡単に出来るはずなのにそれをしようとはしません(ちょっとだけズルしちゃうのも中にはいるとは思いますが・・)。これは子供たちが、ルールを守らないと鬼ゴッコ自体が成立しない(遊びにならない=面白くない)ということを子供なりにわきまえているからだと思います。だから鬼ごっこは審判がいなくても楽しむことが出来ます。
 ジャンケンも審判はいないですが、みんなフェアに勝負します。ちょっと後出しして勝とうなんてずるいことを本気で考える人はいません。手を出すタイミングが合わなかったりして結果的に後出し状態になったときでも、当たり前のようにやり直します。みんなとってもフェアプレーです。ところがきちんと審判をつけたスポーツ大会になると、ズルしたりごまかしたりがたくさん出てくるのは一体どうしてなのでしょう?
 私の考えはこうです。審判がいないときはプレイヤー自身が審判の役目もしなければなりません。つまり自分の中にプレーする自分と審判する自分がいて、ごまかしたりズルしたりする自分に判定を下すのは自分です。結局、自分で自分をごまかすことはできないのでフェアに行われることになります。一方、審判がいると自分はプレーをするだけになり、判定は第三者である審判によって行われます。自分がズルをしても審判が気付かなければそれは気づかない審判のミスであり、自分には責任がありません。審判の判定に従って勝利のために全力を尽くす、と割り切って考えると、審判が気づかないようなズルやごまかしは勝利追求の手段となりえます。
スポーツの公式大会でもプレイヤー自身が審判の役割をする場合があります。例えばゴルフのスコアは自己申告制ですし、テニスでもローカルな大会ではプレイヤーどうしのセルフジャッジで試合が行われています。でもどちらも大きな問題は起こりません。
 もちろん、プレイヤー自身では判定しにくく、審判が客観的にジャッジしなければスムーズに進行しないスポーツもたくさんあります。でもたとえ審判がつく大会でも、鬼ごっこのように自分の心の中にも審判を置いて、フェアプレーで気持ちのいい勝負をして欲しいと思います。

戻る